有關讀後感的日語作文
篇一:《千與千尋》觀後感——日文
感想文1)
『千と千尋の神隠し』という映畫をみて、いろいろ感想がありました。 ただ10歳だけの女の子、両親に豚をなられてしまって、ひとりぼっちで、両親を救うために、どんな苦労も我慢して、いつまでも諦めずに頑張っています。その様子をみて、すごく感動しました。
千尋のその勇気を感心しないといけません。でも、その一方、もっと深く考えらるところがあります。
まず、カオナシという人物を見てみましょう。淋しくて、よわくて、ちょっと亂暴で、これがカオナシだ。たくさんの黃金だけではなく、お風呂の札もできるそうです。黃金なら嫌い人はいないでしょう。黃金は欲望の例えだと思います。自分の欲望を満足するために、悪いことでも何でもしてしまうみたいです。一つの欲望を満足するなら、またもうひとつのを目指しています。それこそ人間というものなのです。人間の欲望はホントにカオナシですね。ですけど、千尋はそんな話がいって「そんなにいらない」。「私のほしいものはあなたには絶対出せない。」10歳の女の子が言えるかもしれませんけど、24歳の私が言えるのかしら、と……欲望に対する態度は年齢によって生長するものではない、とはっきり分りました。それは、カオナシにたべられるよりもずっと恐いことだと思います。
「名を奪われると帰る道は見付からなくなるんだよ」というハクの話がいつまでも忘れられませんでした。誰でも名前があるに違いありません。でも、誰でも帰る道を知ているのかな。私たちは迷っているのですか。いったいどこが帰る道ですか。私たちは本物の名前が忘れてしまうのでしょうか。ホントの自分を失って、それこそ現実ではないでしょうか。人間なら誰でも反省しなければならない問題になってしまいます。
映畫の最後に、千尋は名前を見つかったけど、私はそのまま迷っています。ずっと考えていますから。
篇二:原創日語作文




